【番外編】英語学習開始のきっかけは一人旅でした

Varanasi / India

 

 

こんにちは、Togoです。

 

 

ベッドに寝転ぶ司令塔のリサーチ力がハンパないおかげで、部屋の模様替えがいよいよ大詰めです。

 

 

さて、今回は英語学習から少し離れまして、私が英語を本格的に始めたきっかけを少しお話させていただきます。

 

大してタメになる話ではないかもしれませんが、どこにきっかけが転がってるか分からないもんだなー。

というお話です。

 

 

重い腰を上げた2015年

 

大学時代にバーでバイトをしていたこともあり、20代前半は大人の方々と接することが非常に多かった気がします。

その延長で仕事を始めてもバーに飲み行くことが多く、そこでよく会って飲み仲間となっていった人生の先輩方とのお話がとにかく色々と楽しかったんです。

同年代もいましたが、ひと回りもふた回りも年上の方々も。おじいちゃんと呼ばれるほどの年齢の方ともよくお話しました。

刺激を受けるとかそういうかっこつけた感じのことじゃなくて、とにかく大人になっても全力でくだらないことに笑っている空間がすごく好きでした。

 

飲み歩く日々が続いて、それまで大して貯金などもせず過ごしていました。

 

2014年12月30日。忘年会と題して飲み仲間のうちの一人とたんまりとお酒を飲み、大晦日は人生最大級の重度の二日酔いとの戦いでした。

 

そして二日酔いがようやくおさまる頃、2015年が始まりました。

 

それまで新年の目標など立てる習慣はありませんでしたが、何を思ったかその年に人生で初めて「今年の目標」なるものを立てました。

それが、「腹八分目」

大晦日から新年にかけての重度の二日酔いに反省し、今年は何をするにもほどほどにしよう、という特にこれといって志の高い目標ではありませんでした。

働き盛りの20代でそれもどうかと思いますが、二日酔いがつらすぎて、とにかく飲みすぎない!という浅い目標だったわけです。

でもそれじゃなんか示しがつかないなーと言うことで腹八分目に言い方を変えただけだった気がします。

 

ただ、その目標にしたことで、不思議と飲みに行っても後半の数杯が減り、飲みに行く機会が減り、それが積み重なって徐々に時間とお金に少しずつ余裕が生まれ始めました。

そんな中、社会人になって数年が経っていたこともあり、夏休みとして連休を取らせてもらえることになりました。

そうなったらもう海外行っちゃおう!と思い立ち、そうなると行き先は大学時代から行きたかったインド一択でした。

 

病院で勤務しているそれまでの数年間でインドへの想いがより強くなったのもありました。

 

それは、リハビリ介入を通してどれだけ関係を築いていった患者さんであっても、我々リハビリスタッフは亡くなられた方には会うことがほぼ出来なかったんです。

 

看護師さんがエンゼルケアを終えるとご家族がそばに付き添います。そこはご家族の時間であり、リハビリスタッフとして挨拶に行くことは、よっぽどご家族とも関係が築けていない限りないことでした。

昨日までは直接お声掛けさせていただいていても、心電図モニターの「0」という数字が近づくと部屋の扉が閉められるか、パーテーションで隠されました。

当時の私にとってそれは、なんだか「死」というものを「隠している」ように感じていたんだと思います。

もちろんそこをオープンにするべきという考えではないんです。実際自分がそのご家族の立場だったら扉閉めてよ!って思いますし。

そこで感じていたことは、それに対してバラナシの火葬場は「死」に対しての向き合い方がかなり違う気がする、ということでした。

 

 

2015年の夏。

人生初めての飛行機に乗り、初めての行き先はそのインドでした。

 

 

日本の病院で勤務する中で「隠している」ように感じてしまう「死」に対する捉え方は、輪廻転生の考えのもと、ガンジス川沿いで行われる火葬を目の前で見た時、どんな感覚になるんだろう、と思ったのが一番です。

 

その時は空港自体が初めてでしたが、不安など一切なく、あの離陸の瞬間の気持ちの高ぶり方は今でもはっきり覚えています。

仕事の関係で滞在は7泊9日。

3都市を周りましたが、その中で初めてガンジス川に対峙した時、それまでの数年間の想いも重なり、本当に言葉が出ませんでした。

この5年後には平気でその川でシャンプーして飛び込んでインド人観光客を乗せた手漕ぎボートに並んで泳いでいるようなことになるとは当時は微塵も思っていませんでしたが、最初はそのくらい感動したんです。

 

真夏のバラナシで、大きな炎とともに行われている火葬を見ながら過ごした数日間。

短い時間でしたが、ひとりの医療従事者として心から行って良かったと思える場所でした。

 

そんな余韻に浸りつつ、デリーに戻る前にアーグラーという都市にも寄り、超有名なタージマハルでのんびり一人で観光しておりました。

でかいなー。しろいなー。ひろいなー。でかいなー。

あまり建造物に興味のなかった私はその程度の感想を持ちつつぶらぶら歩いておりました。

 

そんなあほヅラでぶらぶら歩いている私に声をかけてくれて、私のスマホで親切に写真を撮ってくれた野間口徹さん似のおじさんがおりました。

様々なスポットで撮り終えると、料金は3000ルピーだと。

1ルピー1.5円〜1.6円くらいだった気がするので、インドではかなーーりの額になります。なんなら日本でもした仕事に対する額にしては異常です。

ただ私は揉めようにもどうにもなりませんでした。

 

それがルールだと言われれば仕方ないのか、優しかったしな、なにより対抗するにも英語は話せない…野間口徹さん好きだし。

いろいろあり、結果支払ってホテルに戻りました。

 

ホテルの自室で撮ってもらった写真を見返すと、そこに写っているのはそのおじさんに指定されたポーズでタージマハルを背に照れながらポーズを取る自分の姿。

 

そもそも被写体になることをあまり好まない自分が、世界的に有名な観光地で世界中の観光客にニヤニヤと見られながら訳の分からないインド人特有の謎の決めポーズを様々な場所で取らされ、私のスマホを使って撮っただけの数十枚の写真たちが3000ルピー。

 

バラナシで感傷的になったあとに訪れた野間口徹さん似の自称ツアーガイド兼カメラマン。

この、彼への怒りこそ、私が英語を始めたきっかけです。

 

理不尽なことを突き詰めて言い返すことにこそ、本当の語学力が求められる!

そう思って帰国してから毎日8時間以上の勉強地獄が始まりました。

 

 

最初に言った通り、きっかけはどこにあるか分かりませんね。

 

途中までは完全にバラナシが英語を始めるきっかけって流れでしたけどね。結果的には野間口徹さん似のインド人でした。

ということで、ちょっとした思い出話の回でした。

 

 

では、またでーす!

 

 

Togo
  • Togo
  • 3年間のTOEFL猛勉強後にイリノイ大学での留学を経て帰国後は外国人患者受入れ医療機関でもある急性期総合病院に勤務。
    TOEFL iBT勉強法から、留学経験や英語にまつわる様々な情報を発信しています。

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